遥か昔、おそらく2000年代初頭、おれは無記名式のSuicaを発券機で購入した。500円だった、気がする。もう覚えていない。
あれから、20年…
色んなことがあった。
普段、電車を使わないから、愛用していたとは言えないが、飲み会や研修のときは発券機でチャージして使用した。
神奈中でも使えるようになった。
財布には入れていたので、小銭がないときは自販機にかざして飲み物を買った。
便利だった。
家族がモバイルSuicaに切り替えていく流れに、巻き込まれることはなかった。
愛着があったか、訊かれたら、いい返事はできないかもしれないが、自分にとってはあって当然の、たとえば、筆入れの中の細字油性ペンみたいな存在だった。
今まで、ありがとう!
悪いのは、全て、自分です!
まさか、こんな別れ方をするなんて…
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まず、所持方法に問題があった。
おれは財布に入れたまま、改札でピッはしない。Suicaを出してピッしたら、そのままズボンの前ポケットに突っ込む。後ろポケットだと不安だから、前に入れる。前ポケットなら、落としても気づくだろうと高を括っていたのだ。
が。
今は夏。酷暑。ラフなショートパンツで毎日過ごす。Tシャツ短パンサンダル。Suicaは短パンの前ポケット。座ると、軽いものならスルッと落ちる。そのことに全然気づいていなかった。
これまで、財布カード類を落としたことはなかった。自分が落とすはずはないと思い込んでいた。完全に、油断していた。
某駅で別の電車に乗り換え、しばらくしてポケットをまさぐった。
そこで、ハッとした。
あるはずのものが、ない。
ボディバッグにも、ない。
妻に相談したら、何故か怒られた。
とりあえず、次の停車駅で降りる。
JRから、私鉄に乗り換えた。ここは私鉄駅。スリの銀次には遭っていない。JR改札を通るときはもちろんピッした。ということは、電車内で座っているときに落とした。で、気づかなかった。降りて、乗り換えた。Suicaのカードはそんなに小さいものではないから、誰か気がついたかもしれないが、声はかけられなかった。おれだったら一声かけるけどな…、ま、人のせいにしてはいけない。悪いのは、おれだ。妻は目的地への到着が大幅に遅れそうなので、機嫌が悪かったけれど、さっと落とし物専用の番号をスマホで調べ、教えてくれた。JRに電話した。
つながらなかった。
大変、混み合っていた。
落とし物する人
そんなに多いんか?
JRも大変だな。
チャットに案内されたので、入力した。届け出があるか調べてもらえるらしかった。
どの電車に乗っていたかはわかるものの、どの車両に乗っていたかはわからなかった。
妻と軽く言い合いしたあと、このまま目的地を目指すことにした。無記名だから、諦めたほうがいいだろうという結論に達した。もし天使のような方が拾って届けてくれたら、JRがメールをくれることになっている。何度かやり取りをして、相当細かいところまで伝えている。我々にできることはない。電車に乗る間際、今後のことも考え、チャージして残高7000円にしたことを、心の底から後悔していた。しかも、降りるときに電車代を、現金で払わなければならない。慰めてもらいたいのに何故か子供みたいに怒られるし、踏んだり蹴ったりだ。
暑かったけれど、用事を済ませ、けっこう歩いて、冷たいもの飲んで、おいしいもの食べたら、それなりに楽しい気分になった。
翌日。
JRから問い合わせに合致する無記名Suicaの落とし物はないとの回答を得た。チャットとはいえ、丁寧な対応だった。ありがとう。返信できないメールじゃなかったら、感謝メールを送っていただろう。まあ、いい。終わったことだ。きっと、有意義に使われているだろう。おれはいいことをしたのだ。誰かが得するようなことをしたのだ。
「Suicaだけでよかったじゃん」
妻の言葉を思い出した。
そうだな。その通りだ。
妻のススメで、モバイルSuicaに加入した。スマホは絶対、落とさないようにしよう。固く、心に誓った。これが、今夏一番の思い出になりそうだった。客観的に見たら、かなり平和な出来事と言えないこともないかもしれない。