昔々、宿題を忘れたら、クラスメートの前で胸ぐらを掴まれ、教室の一番後ろまで引きずられ、壁に顔を押しつけられた。
強豪・市立船橋高の体罰逮捕の男子バレーボール部監督「そんなに長時間練習したら身体壊すぞ」と指導していた理論派はなぜキレたのか? https://t.co/ll9xBhrAzn @shujoprimeより
— 高空でクロール (@eigasekai_news) 2023年3月6日
ひどい教師だった。
宿題を忘れたのは、おれだけではなかったが、制裁を受けたのはおれだけだった。
奴め、おれを虐待するチャンスを、今か今かと待ち構えていたのだ。
最低な奴だ。
おれもおれで、憎まれていたのなら、油断してはいけなかった。今のおれならうまくやるのだが、当時は中学一年生。まだ甘かった。危機管理がなっていなかった。一生の不覚。ビンタまでされた。
ひどい奴だった。
酒臭く、背が高く、言葉遣いが汚く、みんなに恐れられていた。
だが、おれは知っている。
奴め、たまに登校する暴走族所属の超問題児最上級生には、指導しない。へらへら媚びる。
醜悪である。
所詮、歯向かってこないであろう生徒にしか攻撃できない。それが、奴の暗い悦びなのだ。
人は暴力を振るうか振るわないかを選択することができる。
なのに、あえて振るうということは、人間性に問題があるということだ。
とはいえ、おれの場合、大した心的外傷を受けてはいないものの、程度によっては大切なものを歪めてしまう危険性もあるに違いない。
あえて暴力をチョイスした人間は犯罪者である。万引きは犯罪、体罰もまた犯罪。暴力による矯正は人権侵害である。
奴と道端で出会しても、おれは笑顔で挨拶することができる。既に暴力に訴えないほうを選択しているからだ。