上空でクロール

映画の私的感想ブログ

『ボヘミアン・ラプソディ』

■序

ボヘミアンラプソディ』の上映期間中、知人らに映画館で観たほうがいいよと言われていたにもかかわらず、どうにも気が向かなかった、というか、足が向かなかった。

評価されているのはわかっていたものの、足を運ぶ気になれなかったのは、そもそもフレディ・マーキュリーのストーリーを何かで読んでいたし、クイーンも人並みに聴いているし、“今さら”感が個人的にはあったからだ。

今回視聴したのは、アマゾン・プライムでフリーになったからで、観たら観たで、やっぱり映画館で観るべきだったと反省することになった。

自宅は音響面が貧弱なので。

それでも、クイーンの偉大さを再確認できたことに間違いはない。

今さらだが、“ママ~ウ~ウウ・ウ~”の破壊力はすごいな、と。




■COMMENTS

本作品は伝記映画である。但し、それが正しいかはわからない。所詮、“真実”は後世の人が決めることだ。日記でさえ、古文書でさえ、書かれたものには虚偽が混じる。記録や資料とはそういうものだ。だからといって、真っ赤なウソというわけではない。


フレディ・マーキュリーの場合、人間関係・恋愛関係が込み入っていて、相手のあることだし、より“真実”がわかりにくくなっている。なので、今回はあえて“真実”を度外視して、本作品の内容に従う。


ボヘミアン・ラプソディ (字幕版)

ボヘミアン・ラプソディ (字幕版)

  • 発売日: 2019/04/17
  • メディア: Prime Video


エルトン・ジョンもそうだけど、フレディも成功するまで音楽的な挫折は味わっていない。彼らの前にはまるで誰かが用意したかのように、輝かしい道が延びている。途中には才能豊かな人々との出会いがあり、成功が待ち受けている。


実際にはフレディにも色々あったのだろが、後世の人間からしたら、偉大な才能を際立たせる淡い影にしか見えない。苦節ン年なんて言葉がバカらしく思えるほど、フレディ及びクイーンは易々とレコード会社と契約を結ぶ。で、BBCに出演。アルバムがチャート入りして、「キラー・クイーン」があたって、アメリカ・ツアー。ツアーは大成功。とても楽しそうだ。


音楽に対しては真摯で貪欲で、自己模倣を嫌う。売れ線ではなく、より高度で、実現したいことに挑む。それによって生まれたのが「ボヘミアン・ラプソディ」だ。それはクイーンにしか作れない曲だが、クイーンの楽曲の中でも異質だった。作中の、レコーディングから世に出るまでのゴタゴタは実に見応えがある。


A Night At The Opera (2011 Remaster)

A Night At The Opera (2011 Remaster)

  • 発売日: 2011/03/16
  • メディア: MP3 ダウンロード


揺るぎない成功を手にしたクイーンだったが、バンド内からは不協和音が聞こえるようになり、フレディのプライベートも暴走気味になってくる。根底にメンバー同士のリスペクトがなかったら、完全に空中分解していたに違いない。


Jazz / 2011 Remastered

Jazz / 2011 Remastered

  • アーティスト:Queen
  • 発売日: 2011/06/24
  • メディア: CD


フレディが心を入れ替えてからの流れは圧巻だった。

『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』

■序

昨日は早起きして、劇場版『鬼滅の刃』を観に行きました。

上映開始時間は8時台。その時間が空いていたもので。

子供の付き添いです。

正直に言いますと、ファンの皆様のような熱い想いは抱いていません。

とはいえ、アニメは全話視聴済で、コミックは1~6巻まで読んでいます。

20~22巻までも何とか買えたんですが、7~19巻が手に入らないので、読んでいません。

子供は学校から帰ってくると、1~6巻を繰り返し、繰り返し、貪るように読みます。

ブームってすごいですね。子供の頃の自分と重ね合わせて、こんなこともあったかなと思ったり(笑)

ただ、子供と映画に行ってその作品に満足したことはありません。

“ここたま”とか“プリキュア”とか、ほんと、きつかった…

プリキュアは勧善懲悪だから、プリキュアをアクションスターに変え、敵をテロリストにして、あとは舞台と設定をいじれば、そのままアクション映画になるんだけど、それでも全然…

あ、プリキュアファンの方がいたら、申し訳ございません。

ひねくれたおっさんの感想ということで。

世界の片隅で呟いているだけなので。

(ああ…そういえば、あの映画も…)

しかしたとえ映画がつまらなくても、子供と映画館に行ったこと自体は良い思い出です。映画を観ている子供の横顔を見るのが好きです。



■COMMENTS

劇場版『鬼滅の刃』はアニメの続きらしい。

らしい、と書いたのは、よくわかっていないからだが、アニメの最終話がプロローグになっている点は間違いない。

だから映画の世界にはすんなり入り込むことができた。

裏を返せば、原作やらアニメやらに触れたことがない人には、少々酷な映画である。映画は映画のみで独立しているわけではなく、他のメディアの延長線上にある。もちろんそれは良し悪しではなく、そういうタイプの作品というだけの話だ。もしぼくが原作を知らなかったら、おそらく楽しめなかっただろう。

◇ ◇ ◇

“無限列車編”なので、列車が舞台だ。


炭治郎をはじめとする鬼殺隊の面々は、ちょっとキ〇イ鬼の術で眠らされてしまう。鬼の手先となった少年少女らが、炭治郎らの夢に侵入して、意識の核の破壊を試みる。それを壊されたら廃人になる。“エルム街”的な展開である。フレディの出生もなかなかハードだったが、奴ももしかしたら鬼だったか…いや…



話を戻そう!



炭治郎の夢の中では、鬼に惨殺されたはずの家族が健在だ。グッとくるところではあったが、若干まどろっこしく感じられた。疾走感が欲しかった。背景の説明みたいに思えた。このままいったらきついな…と心配になったのだが、もちろんそれで終わるはずもなかった。


妹の禰豆子が目覚めた辺りから徐々にそれらしくなっていった。ぼくがこの作品に求めていたのは、“戦い”なのだ。今さらながら、劇場でそれに気づいた。少年漫画的なオーソドックスで熱い、それでいて悲しい戦いを見たかったのだ。“北斗の拳”とか“キン肉マン”とか“ブラック・エンジェル”とか、そんな漫画を読んでいたときの気持ちを思い出させる何か。よくよく考えれば、『鬼滅の刃』にはそれがある。


劇場版の軸となるのは、炎柱の煉獄杏寿郎だ。とてつもなく強く、いい奴で、使命を全うする。ぼくは己の人生を顧みて、すごく恥ずかしくなった。それほど、真っ当な漢だ。もっと活躍を見たかったが、まあ、それは言っても詮ないことか…


ともあれ、煉獄杏寿郎の強さ・正しさ・優しさはまっすぐで良かった。子供は善逸の居合をもっと見たかったようだが、満足していた。


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いつの日か、彼氏と映画に行くんだろうな、と。ふと。