お久しぶりです。
最近、4について漠然と考えることがあって‥というと、暗いだのネガティブだのといった印象を与えるのかもしれないけれど笑
とにかく、人生半ばまで差し掛かると、終わりに思いを馳せるときもあるわけで、当然。
理想は周りと不協和音を奏でることなく逝くことだけれど、みんながみんな、そういうわけにはいくまい。
どうしても、うまく逝けない人も出てくるだろう。いや、むしろ、うまく逝かれないケースのほうが多いのではないか‥
最近そんなふうに思うわけです。
たとえば、ある親類はクモ膜下出血でそのまま帰らぬ人となった。享年60。早すぎると言えば早すぎる最期だった。その方には、最期の準備などする時間もなければ、最期の覚悟を決める時間もなかった。ある日突然、スイッチを切るかのように切断された。
最期はわからない
予知できない
いきなりくるし、きたらもう、この世のものではなくなる。
土地も金も持っていかれない
酒も飯も持っていけない
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ところで、素朴な疑問だけれど、運が尽きて仕事も金も失ったら路上で生活することになるのだろうか?
実はそこがわかっているようでわかっていないというか、これまでまともに考えたことがなかった。
金があろうがなかろうが、もしも動けなくなったら、自由に何かをすることは難しくなるだろう、とは思っている。
だから、動けるうちにやりたいことをやって楽しむしかないのだが、最近ホームレス・ユーチューバーの動画を視聴して考えさせられるところがあった。
自分は川釣りをたまにする。
河原にはホームレスの方々が住んでいて、炊事洗濯の光景を目にしたこともある。
世の中には実に色々な人がいる。
仕事を通して痛感した。
ドヤ街で倒れて行政に保護され認知症と診断そのまま生活保護の手続きを経て介護施設に入所させられた人もいる。
おそらく、動けなくなるまでは、動き続けないといけないのだ。
しかも、できるだけうまく。