上空でクロール

雑記ブログ。目標は100000記事。書きたいときに書き、休みたいときは休む。線路は続くよ、どこまでも。

大人のひきこもり問題


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大人のひきこもりで怖いのは、怒りに駆られての無双である。そうなったら、どうしようもない。その場にいた人は運が悪かったとしか言えない。もし強い怒りを抱いている人がいたら、他人の意見に耳を貸すことはないだろう。個人的にはそういう人がいちばん怖い。

 

ひきこもりはおそらく、すごく不安定な状態だと思われる。多くの人は自らの経験と現状を踏まえ、遠くの未来を勝手に予想して、これからの方針を決定する。指針が単純明快に、すんなり決定するときは、たぶんうまくいっているときだ。そういうときは“幸福”な場合が多い。

 

対して、ひきこもりの人は未来を危惧している。不安はストレスを生み、見えない将来は恐怖でしかない。過去との対話から怒りが生まれると、手がつけられなくなる。孤独になるということは、どうしようもない自らの感情と向き合うことを意味する。

 

社会は冷たい。ひきこもりがサボりのように見えるからだ。だが、仮に誰かがひきこもっても、直接、即座に、影響が出ることはまずない。放っておいても、世の中は回る。確実に。だから、困っている人を責めるのはどうかと思うのだ。社会には欠陥があり、時として躓くこともある。

 

みんな、苦労している。みんなが幸せになるために政治があり、社会があるはずなのに、一向にそうはならない。不幸な人が多くなれば、社会はより暗くなる。他人と関わるのが嫌な人はおそらく、困っても役所に相談することは避けたい。“領域”は絶対に侵されたくない。その億劫さは、ひきこもりの根幹にあるものである。

 

もはや手詰まり感しかない。社会問題ではあるが、家庭問題でもあるため、へたに介入することはできない。親や親族が、プロの支援者に依頼して初めて、接触・干渉が許される。うまくいくかはわからないが、それは一つの契機となるはずだ。

 

親類でひきこもってた子がいた。彼は部屋からも出てこないタイプだったが、家に支援者がくるようになると、変わった。支援者のことが気に入らないことを、敵視していた母親に直訴するようになった。母親は支援者抜きで、息子に本音をぶつける作戦に出て、たまたまうまくいった。彼は当時34歳。まじめで優秀だが、人間関係が苦手だった。

 

ひきこもりはどうしても生まれるものである。もっと、もっと、保護者・養育者が頼りやすい風潮・制度を作るべきだ。彼らが救われることは、我々が助かることでもある。彼らの救済は結局、いくつかの起こり得るかもしれない無差別事件の予防になるからだ。