オーソドックスな
ヴァイオレンスと映画は相性が良い。
ヴァイオレンスは、TVではなかなか流すことができない。
映画にも倫理的な制約はあるにせよ、TVドラマよりは幾分自由である。現代においてその優位性は貴重だ。
新しい映画、というのは簡単に製作できない。
物語レベルでは、ほぼムリだろう。
が、新たな才能が難しいことに挑戦し、新鮮さや新奇な面を提示することは珍しくない。
『ノーバディ』の設定は目新しくはない。市井に紛れた無敵の殺し屋が主人公だ。根本は『マグマナム』や『イコライザー』と変わらない。
ただし、本作品の場合、ヴァイオレンスに面白みがある。滑稽である。部分的には、コントみたいに笑える。もちろんそれは企みである。ブルータルな復讐劇に仕上げることは簡単だろうが、んなものは不快になるだけのこと。『ノーバディ』のような、観て楽しいヴァイオレンスというのはそんなにない。
もちろん、それはこちらの主観であり、別にこんなの…という意見もあるだろう。ラスボスはありがちなロシア人で、ありがちな展開だし…
だが、ヴァイオレンスが好きなら、観て損はしない出来である。
“いささかやりすぎたが愉快だった”
という主人公の父親(クリストファー・ロイド)のセリフが、映画そのものを表している。