重い言葉だ。
集団にアタマから全否定されたら、個人の力では、もはやどうすることもできない。抗うことは難しい。迫害、とまではいかなくても、圧倒的な敗北を経験したことがあるなら、なんとなく想像はできると思うのだが。
問題は、失われたものが戻ってくることはない、ということだ。
時代は多くの断罪を求めている。
過去に許されてきたはずのことが引きずり出され、共有され、時には歪曲され、今の価値観で裁かれる。
これはもうどうすることもできない。
多くの人の許しか忘却がなければおそらく復帰することは叶わないし、たとえ復帰しても絶えず批判と悪口がつきまとう状態となるに違いない。
裁判の結果ではなく、こういう訴えを起こされた時点で、負けなのだ。
正直なところ、個人的にはどちらの言い分が正しいかはよくわからない。真実相当性ではなく、真実が明らかになってもらいたい。裁判上のテクニックや常識など、あまり興味がない。真実が提示されないなら、正義は拠り所を失うはずだ。