上空でクロール

雑記ブログ。目標は100000記事。書きたいときに書き、休みたいときは休む。線路は続くよ、どこまでも。

「ピンク色の研究」におけるカプセルついての私見


スポンサーリンク

トリック

カンバーバッチ主演『シャーロック』の第一話を再視聴した。内容はもちろん悪くないんだけど、どうしてもモヤモヤ・イライラさせられるところがある。カプセルのトリックである。

 

 

対決

ホームズ(カンバーバッチ)が犯人(タクシー運転手)と対決する場面。犯人が瓶入りカプセルを二つ出して、どちらか選べと強要する。選んだカプセルはホームズが飲み、もう一方は犯人が飲む。片方には毒が入っている。つまり、一方はあの世行きである。犯人はこれまでこの方法で四人を葬ってきた。

 

動機は事情があって疎遠になっている子供にお金を遺すためだった。自分は病で余命幾ばくもなく、遺産もない。そこへある人物がおいしい話を持ってきた。依頼する人を消せば、大金を払うと。犯人はその話に乗ったのだ。

 

犯人は四人と対決し、勝ってきた。四戦全勝。無敗。そんなことがあるだろうか。常識的に考えて、そんなことが起こり得るだろうか。何らかのトリックで毒入りを選ばせたとは考えられないだろうか。

 

 

解釈

「緋色の研究」とは違い、カプセルのトリックは作中で全く解明されない。警察はもちろん証拠品として押収し、調査したのだろうが、説明されることはない。

 

幾つか思いつくことを書くと

①犯人はあらかじめカプセル二つに毒を仕込んでいた。犯人は解毒できるため、どちらを飲んでもよかった。

②犯人はメンタリスト的な方法で毒入りカプセルを選ばせることができた。ただし、そのようなスキルがあることは全く描かれていない。

③犯人はマジックで毒入りを選択させることができた。ただし、そのようなスキルがあることは(略

 

以前はそのどれかとぼんやり考えていたが、今回どれも違うんじゃないかと思い至った。つまり、毒入りカプセルを選ばせる件にトリックはなかったのではないか、と。

 

そもそも犯人は死期が近い。命は惜しくないのだ。だから、大それた犯罪に手を染めることができた。いつ死んでもよかった。殺害相手は誰でもよかった。依頼された人物を殺せばお金が入る、失敗したら自分が逝く。ただそれだけのことだ。ホームズがターゲットになったのは、依頼主からの依頼があったからで、彼自身が選択したわけではなかった。彼は殺したい人間を殺していたわけではないのだ。

 

犯人にとって、死のカプセルを選ばせることは命がけのゲームであり、最期の娯楽だった。相手に恨みがなく、生き残る必要もなければ、トリックなど必要ないのだ。

 

ミステリーなのでどうしてもトリックありきと考えてしまうが、殺人の請負、迫る死期という特殊な設定自体が、トリック不要を裏付けているようにも思われる。

 

つまり、カプセルに関してはトリックが存在しないから、劇中でカプセルについて殊更に説明する必要もなかったのだ。

 

 

 

 

おわりに

無論、視聴者をあえてモヤモヤさせる意図もあるだろう。ホラー映画のエンディングのような、割り切れない思いにさせるあの手法だ。

 

人は解答できないものを厭う。想像力を駆使して解釈を繰り返し、無理にでも答えを導き出す。悪い癖で、正解を提示してもらわないと、納得することができない。

 

今回、たまたま本作品を観て、自分で考えることの大切さと、自分の考えを維持することの脆さについても考えさせられた。