上空でクロール

雑記ブログ。目標は100000記事。書きたいときに書き、休みたいときは休む。線路は続くよ、どこまでも。

皆川博子『聖餐城』光文社


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感想

17世紀初頭、神聖ローマ帝国と、その領邦であるボヘミア王国は宗教的な対立から戦争に至った。前者はカトリックであり、後者はプロテスタントだ。戦火は次第に周辺諸国とその野心を巻き込み、甚大な被害をもたらせた。人々はそれを三十年戦争と呼ぶ。三十年も続いたからだ。犠牲者は800万人を超えたという。


本作品では、貧しい少年アディとユダヤ人富豪の末弟イシュアを軸にして、三十年戦争の物語が展開していく。オカルトめいたくだりもあるけれど、それはメインではない。


私が本作品で特に注目した要素を幾つかあげよう。


ユダヤ

我々日本人は、ヨーロッパにおけるユダヤ差別に今ひとつピンとくるものがないけれど、それはとても根深いものだった。富豪でも差別される。差別されることが当たり前だった。ルターでさえ、差別していた。弾圧を乗り越え、時の為政者の寵愛を受けても、次代には迫害されて財産を没収されることもあった。

17世紀初頭の傭兵

この時代、帝国内で常備軍を持つ勢力はなかった。戦争があるときだけ雇い、終われば解散というのが一般的だった。忠誠心も規律もあったものではない。


傭兵らは村々で掠奪する。戦場では給与が満額払われないことが多いけれど、高価な装備品などは自前で用意しなければならない。掠奪して補完しないと、そもそも生きていくことができないのだった。本書を読んでいると、人命というものがいかに軽く扱われていたかを思い知らされる。


掠奪は凄惨だ。村人を整列させて、幾許かの財産を出させるといった、おとなしいものではない。金品と命を奪うだけでなく、辱め、拷問まがいのことも行う。傭兵らはさしたる理由もなく、楽しみながら村民を痛ぶり、なぶり、白昼堂々と暴行に及ぶ。


たとえば、三十年戦争に参戦したプロテスタントスウェーデンは、神聖ローマ帝国と違って中央集権国家であり、常備軍を抱えていたものの、戦争時は現地ドイツで募兵し、ドイツを荒らし回り、散々、民衆を苦しめた。


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国家と個人

戦火は絶えることなく、諸侯らの思惑は入り乱れていた。小貴族が力をつけて領土を拡大させる一方、外国の王侯や宰相が食指を伸ばしてきて、混乱に拍車をかける。カトリック側の貴族が己の野心からプロテスタント側に加担して、神聖ローマ皇帝を揺さぶるようなこともする。皇帝は領邦の貴族らの選挙によって選ばれるという性格上、君主としての求心力は期待できないシステムになっていたが、権威はあった。国々の野望が傭兵を必要とし、傭兵は略奪に勤しみ、多くの民が家族や命、自尊心を失った。


血腥い世界の中で、貧しい少年だったアディは騎兵となり、勇敢に戦う。戦闘シーンの描写はとても把握し易く、無駄がない。アディの性格には癖がなく、公正性があって好感が持てる。悪気のない残酷なこともするのだが、そんな欠点も許せる。

一方、イシュアは癖のある人間で、傷つきやすい。それ故、アディの善性には好感を持っていて、事あるごとに助けてやる。二人の友情は暴力に満ちた世界における一服の清涼剤となっていて、実に微笑ましい。


聖餐城 (光文社文庫)

聖餐城 (光文社文庫)


おわりに

時の経過がすこぶる自然で、ページを繰る手が止まらない。これほどの作品には中々お目にかかることができないだろう。現在、絶版らしいが、ひじょうにもったいない話である。