What's it about ?
F1ドライバーたちのプライドと友情
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F1は不思議なスポーツだ。
同じところをぐるぐる周っているだけなのに、人々を惹きつける。
日本で流行ったのは、古舘さんが実況を担当していたときか。プロストとセナ。マクラーレンとフェラーリ。ウィリアムズ、ティレル。ホンダ、ルノー。中嶋悟の活躍。シューマッハの台頭。あの時代、レイトン・ブルーは鮮やかだった。青山一丁目にはHONDAのショールームがあって、20年以上前、事故により亡くなったセナとのお別れのために、大勢のファンが来場した。
車が周回するだけの一見、単調に思えるレースには、莫大な資本と、多くの野望と、熾烈な駆け引きと、神の与えた稀有な才能が投下される。
ジェームス・ハントとニキ・ラウダ
ハント(クリス・ヘムズワース)は女好きの破天荒なレーサーで、もう一方のラウダ(ダニエル・ブリュール)はマシンに精通した、理知的なレーサーだ。
二人の共通点は傲慢で、育ちが良いこと。金持ちの家に生まれないと、モーター・スポーツはできない。とにかく金がかかる。
F1レーサーになるには金銭面のほかに、車を人より速く走らせる能力が必要なのはもちろんのこと、更に、強運が必要になってくる。
当時のモーター・スポーツは安全面への配慮が今ほど行き届いていなかったので、事故が多かった。運が悪ければ、レースで事故死することもあり得る。毎回レースから生還した上で好成績を残し、F1マシンの空シートに巡り会わなければ、晴れ舞台には立てない。
ハントとラウダはライバルだ。
対照的で、気が合わない。どちらかと言うと、ラウダのほうが個性的で、癖が強い。ストレンジャー。
ハントは欲望に忠実というか、パーティと女をこよなく愛する享楽的な男だが、レース前は決まって嘔吐する。イメージ・トレーニングはまるで実走しているようで、感動さえ覚える。
ラウダは金のためにレーサーになったと言うものの、胸の内には熱いものがある。レーサーの力を見せるべく、公道で暴走するシーンはよかった。
構成に一工夫あって、断章形式の小説みたいなところがある。長編から印象的な場面場面を抜き取って、並べて見せたような流れ。つまり、山場の連続である。当然、シーケンス間に連続性のないところもあるけれど、人間の脳とは不思議なもので、自ずと穴を埋めていく。
ハントはやがて、マクラーレンのドライバーとなり、フェラーリのドライバー・ラウダと対決する。
セナのファンだった自分が色眼鏡をかけて見ると、マクラーレンは正義の味方で、フェラーリはラスボス的な存在だが、当時、世界的にはフェラーリのほうが、人気、マシンの性能ともに、マクラーレンを上回っていた。
個人的には、ハントの造形が特に気に入った。めちゃくちゃに見えて、逸脱しすぎないところ。実は懐が深いところ。もてる男は、ふられるときも男前だ。まっすぐで、必要以上に人を傷つけない。
ニキ・ラウダは変にストイックで、正直好きになれない奴だったが、事故から復帰したときはグッときた。この辺りから単なる勝ち負けではない、ハントとのライバル関係に深みが出てくる。この映画、本番はここからだ。けっこう、きます。
ラウダ! ラウダ! ラウダ!