怒りと恐れは苦痛を、生む。
第一次世界大戦後のドイツは絶望と怒りの中で悶えていた。ハイパーインフレの様子を教科書で見た方も多いだろう。怒りは苦痛であり、苦痛から逃れようとするのは当たり前のことだ。
ヨーロッパにおいては、第一次大戦と第二次世界大戦には密接な繋がりがある。ドイツは第一次大戦で敗北したあと、莫大な賠償金を課せられ、軍縮も迫られた。第一次大戦でさえ、とんでもない犠牲を生んだのに、負けたことで更なる地獄を味わうことになった。彼らの怒りはある男の台頭を呼び寄せることになる。
ヒトラーだ
彼はドイツのために生きた。彼の怒りは国民の怒りでもあった。彼は民衆の支持を得て、ドイツは限界を超えた。苦痛は更なる苦痛と犠牲を生み、破滅するまでそれは続いた。
恐れもまた、苦痛だ
南下しようとしても果たせず、極東の小国に負けた過去がある。広大な領土を持ちながら、影響力の著しい低下に頭を抱えている。戦争はうまくないが、残酷。恐れが全てを暗黒に塗り潰す。
怒りと恐れは苦痛しか生まない。
苦痛から逃れるために、暴走する。
国家国民単位となると、怒りや恐れの解消は難しい。共同体を支える一要素になっているからだ。しかし後者の国の場合、かつてのドイツとは違って、国民が恐れを抱いているとは思えない。元首個人の焦燥としか見えない。それが救いとなるのかどうか。それとも、その元首が偉大で邪悪な指導者として歴史をひっくり返すような展開を導くのかどうか。
隣国の国民として、恐れている
恐れは苦痛である
個人的な恐れは、強い心を以て抑え込むに限る。些細な悪感情は抑圧すれば、いずれ消える。恐れていても、何もいいことはない。