上空でクロール

雑記ブログ。目標は100000記事。書きたいときに書き、休みたいときは休む。線路は続くよ、どこまでも。

パクス・イアポニア


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戦争は時代とともに規模が大きくなった。まず多数の兵を動員することが可能になり、国力の増強により戦争の継続期間を伸ばすことができるようにもなった。また、兵器の性能向上は一度に多くの犠牲者を出せるようになった。つまり、現代の戦争はこれまでのどんな戦争よりも残酷で、無慈悲なものだということだ。蛮人のナタよりも、ぴかぴかのミサイルのほうがとんでもない被害を生む。

 

近代、第一次世界大戦前夜においては、戦争を望まない者も多くいた。戦土となるヨーロッパが経済的に大打撃を受けることも認識していた。それでも戦争になってしまったのは、すぐ終わるだろう・さっさと講和に持ち込めるだろう・こちらが有利だろう、といった甘い観測による側面もあるだろう。

 

皮肉だが、核の抑止力がなければ、もっと戦争は増えていたかもしれない。

 

 

露西亜は不思議な国だ。日露戦争のとき、ごく普通に戦っていたら、露は勝っていた。それほど、我が国を圧倒していた。国内がガタガタで士気は低くても、勝てる見込みはあった。

 

今回も凌駕しているはずなのに、劣勢が伝えられている。米国のハイテク戦争とは大違いだ。

 

橋下徹氏「精神論で死ぬまで戦えの風潮 日本にもあった」ウクライナ侵攻「精神論はダメ」/芸能/デイリースポーツ online

 

戦争はいつでも起こり得る。起こるとき、もはや個人ではどうすることもできない。大きなうねりが生まれると、何人たりとも抗うことはできなくなる。

 

残念なことに、日本は隣国とうまくいっていない。しかも、日本は強いわけではない。相手は核保有国なので、第三国は助けてくれないかもしれない。条約なんて、どうにでもなる。他国をあてにする前に、もっと考えることはあるはずだ。

 

攻められたら、我々は色々なものを失う。失ってからでは、遅い。

 

相手は膨張政策を取っている。日本もかつて帝国主義化して侵略したのだから、される可能性はじゅうぶんある。時代が違うと叫んだところで、相手には届かない。結局、強国が牛耳るのだ。次の一手は責任重大だ。