意識の流れ、という文学的手法を初めて知ったのは、フォークナーの『響きと怒り』を読んだときだった。それがフォークナーの発案した手法ではない、と知るのはずっとあとのことになるが、初めて触れた印象が強かったためか、想念が浮かんでくると決まって、フォークナーの著作を思い出す。
個人的には、考えすぎるのはよくないと思っている。下手な考え休むに似たり、とも言うし、大抵、解決しないことを無駄に考えていることが多いからだ。が、なかなか想念から逃れられないのも事実。忘れろ、放っておけ、と言われても、うまくできない。そもそも簡単に忘れられるくらいなら、悩まない。
それでも、想念から自由になるのがいちばんだと思う。行動をも司る想念の檻を破り、好きなことのみをして生きる。理想だ。