ロは部分的動員を終えた。重ねて、ウとの対話の用意もあると発表した。
戦争は経済的関係をズタズタにし、停滞と衰退をもたらすのは歴史が示す通りだ。いいことは一つもない。戦場はただただ悲惨である。
にもかかわらず、戦争という手段に訴えるのは、それが今もなお、有効な一手だからだ。
多くの人はプの破滅を期待している。実際、そうなるかもしれない。だが、かつて欧州を席捲した某独裁者とは違うところに留意する必要がある。プはインテリだ。ボヘミヤの伍長とはわけが違う。我々の期待通りに動くとは思えない。
たとえば、おれは織田信長の気持ちや考え方がわからない。あまりにも能力が違いすぎるからだ。立場と生きている環境も、全く違う。庶民の想像力で偉人を正確に描くことができるとは思えない。
ヒトラーが「元伍長」であるという誤解/その背景は何か?(赤城毅氏) - Togetter
善悪は別にして、そもそも、並の人間ではないだろう。北もそうだと思うが、権力闘争は民主主義国家のそれより熾烈であり、維持することは更に難易度が高いだろう。つまり、庶民の考え及ばない考え方をしている可能性もある。善悪は別として。
歴史上いちばん素晴らしい状態は平和◯ケだ。戦争について考えなくていいときが、最も平和なのだ。
戦争は紳士のスポーツではない。
条約をこさえても、こ◯しあいであることに違いはない。戦勝国の戦争犯罪は不問に付される。現場では、市民に恐怖を与えるため、士気向上のため、戦争犯罪が奨励されているかもしれない。今は隠されているロ軍の横暴も、いずれは白日に晒される。
ロシア、レイプを「軍事戦略」として使用 国連性暴力担当代表 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News
尾張兵は強くないと司馬遼太郎は作品に書いているが、軍律は厳しかった。悪さをした兵がいたら、確実に命はなかった。もっとも、戦国期の庶民の命はとても軽かった。石ころみたいに扱われることもあった。昔はそんなもんだ。まだフランス革命は起きていないし、人権という概念はなかった。逆にそんな時代だからこそ、規律が尊ばれたのかもしれない。
いずれにしても、非戦闘員と彼らの町を脅かしてムリな要求を呑ませようとするのは、醜い行為だ。我が国も犠牲にならないように準備しなければならない。我らの論理は通用しない。