古い考え方かもしれないが、男女であれ、人種であれ、らしさってのはあると思う。男らしい行動、日本人らしい発想。使い方次第では差別になる危険を孕んでいるので、最近では褒め言葉としての用法が多くなっている。
また、あるモノを説明するときに、なるべく単純化つまりわかりやすくする目的で“らしさ”を使うこともある。
今回
おれがちょっと立ち止まったのは、アリエルらしさを考えたからだ。
「実写版リトル・マーメイド」日本人が批判のなぜ #東洋経済オンライン @Toyokeizai https://t.co/3mbwDREsbk
— 高空でクロール (@eigasekai_news) 2022年9月18日
善悪は関係なく、らしさの根底にあるのは、先入観だ。甲はこうあるべき、といった硬直した態度だ。クリエイターはそういったセンシティブな問題に精通していて、状況さえ許せば、覆そうとする。創る、精神の裏には破壊もあって、時としてそれは過激な表現に行き着く。
とはいえ、“リトル・マーメイド”に関しては、全然、行き過ぎていない。当然、PCじゃんみたいな意見は出るだろうが、そんなのはよくあること。今回の批判は単に、白人的な存在を有色人種が演じることへの違和感からきている。
たとえば、だ。
『鎌倉殿の13人』を観ていて、いきなり白人の巴御前が出てきて、木曾義仲の脇で槍を振り回し始めたら、どう思う?
許容できる人もいるだろうが、否定的な人のほうが多いだろう。それは差別ではなく、日本人を演じるのは、日本人の役者さん、もしくは日本語の堪能な東アジア人的容姿の役者さんが、妥当で自然だと考えているからだ。巴御前が白人だったという史料はないし、白人だった可能性は常識的に考えてゼロに近い。
同様に、洋風ファンタジーのヒロインの多くは白人女性が占めてきた。観客というのは保守的なので、これまでと同じようなものを好む傾向にある。観客は観たいものを、観たいのだ。
が、
ある種の作品、名作と呼ばれる作品は、観客に別の世界を見せる。そのとき、観客の中の何かが変わる。そんな体験は人間にしかできない。人間の特権である。
つまり、いい作品なら、多くの人の固定観念を突き崩せるはずだ。
個人的には、すらりとした顔の細いアジア人以外の人なら、アリエルありだと思うのだが、それは好みであり、偏見でもある。
但し、差別に対して敏感な国では、笑い話で済む話ではなく、根深く、もっとシビアな問題だと思われる。平等を求めるあまり、逆差別的な評を受ける可能性もある。もしいい作品だったら、変に評価されないことを祈るばかりだ。