庶民の一生にも色々あると思うが、自分の知るそれはすごくシンプルだ。
好きでもないけどある種の義務感から労働し、余暇は金のかからない趣味にあてる。
生意気な子供たちは巣立っていて、たまに脇道にそれることもあるが、概ね堅実に生きている。親が病気になっても、心配なんてしない。
庶民には余裕がない
稼ぎは少ないし、貯金も少ない。贅沢なんてしていない。一番の贅沢は私立大学に通い、クソの役にも立たない学位記をもらったことぐらいか。それ以上に金のかかったものは家だが、贅沢とは言えまい。しょぼい家だからだ。それに、マイホーム購入は自分の希望というより、配偶者の夢を叶えるためだった。
節約は日常茶飯事
そうしないと生きていかれないから。
ある人は言う。
“嫌ならやめて、やりたいことをやれば?”
ごもっとも。しかし正論は広く支持されるが、真理ではない。正論が通用しない何だかよくわからない理不尽なことに真理はある。抑圧された意見に目を向けないと、人間を理解することは難しい。
“こっちも意志のある人間だから、やりたいことをやろうとはしたよ。でも受け入れてもらえなかったのさ。気づいたら歳を食っていて、もはや何がやりたいのかわかんないよ”
人生はずっと続く、わけではない。
終わりはやってくる。
平等に訪れる。
庶民は最先端の医療を受けることはできない。そこまでの金はない。色々諦める必要がある。これまでと同じように、最期も、妥協を強いられる。そうして、ささやかな遺産を遺して眠る。狭い土地とわずかな貯金のために、子供たちが争う。
同じようなことが、繰り返される。
脳裏をかすめる起こり得ないミラクル
一発逆転満塁ホームラン
見果てぬ夢から顔を背けて
最期、なんだかんだで物語として回収する。
決して、悪い人生ではなかった
ベストは尽くした