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適当主義


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素朴な疑問だが、社会制度の最終形態は、やはり民主主義だろうか?

 

もはや民主主義国が少数派に転落した世界の現実 | アメリカ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 

歴史を見る限り、民主主義国家がたとえ少なくなろうと、安定した制度であることは間違いない。独裁や専制主義は血腥く、打ち倒されてきた。民主主義陣営の国民である自分は、それに比べたら…と思うのだ。民主主義の政権交代は選挙によって行われるし、なるべくフェアであろうとしている気はする。選挙に問題は数あれど、選挙自体を否定する国民は少ないはずだ。

 

とはいえ、投票率の低さから、政治に参加したくない人が多いこともわかる。

 

“どうせワシらには関係ねーし、勝手にやってくれろ”というわけだ。無関心な人々をどうすることもできないのが、民主主義でもある。それはそれで、自由だとは思う。

 

独裁は良くも悪くも、トップの資質によって国家の命運が決まる。

 

 

いずれにしても、貧富の差は必ずある。特権階級と労働者階級の溝は埋まらない。

 

専制国家の労働者と、民主主義国家の労働者、どちらの労働者になりたいかと問われたら、おれは迷わず後者を選ぶ。

 

前者のような国家でワリを食うのは大抵、庶民だ。いつ家を追い出されるかわかったものではない。いつ拘束されるかビクビクする毎日なんて、ごめんだ。

 

 

庶民はいつの時代でも、時代を作ることはなかったし、最先端に立つこともなかった。押しつけられ、流され、消える運命にある。哀しくはない。そういうものだ。毎日を適当に楽しんで生きよう。偉人たちのお陰で、やろうと思えば、毎日楽しく生活できる。数多の進歩は、庶民レベルでは家電や車の変遷で体感できる。いやー、便利になったものだ。この加速度的な、狂ったような進歩は、人類をどこに連れて行くのだろうか。最後の人達は何を思うのか。