毎年この時期になると、そういう話題になる。
自分は日本人だし、祖父が2人とも出征しているし、日本のことを悪く言いたくはないが、ここで考えてみて欲しいのは、東アジア諸国の日本ヘイトの問題である。
国民感情として、現代になっても原爆は許せない。ひどい被害をもたらせた。玉砕とか叫ばせた、国民を犠牲にして踏ん反り返っていた奴らが戦意を失うほどの痛恨の一撃だった。被害に遭われた方々のことを思えば、日本国民として悲しくないわけがない。わかる。それはわかる。オーケー、その通りだ。
ならば、日本の周囲の国々が未だに我が国を口撃する気持ちも理解できるはずだ。隣国の歴史認識にはうんざりしているが、一旦頭を冷やして米国の立場に立ってみれば、また別の認識を持てないこともない。たとえば、原爆原爆と卑怯な(真珠湾を忘れるな!)敗戦国から非難されたら、どんな気持ちになるのか。
日本は負けた。日本軍はなくなった。消滅させられた。でもそのお陰で、平和を堪能することができる。平和だから、こんなことを考え、口に出すことができる。かつての日本だったら、言論の自由はない。我々は多くの犠牲を払って、この平和を謳歌している。
されたこと、したこと。
責めるなら、責められることもある。
いつになったら「戦後」は終わるのか。