上空でクロール

雑記ブログ。目標は100000記事。書きたいときに書き、休みたいときは休む。線路は続くよ、どこまでも。

100歳超

 

100歳以上の方も、最近はよく見かける。誠におめでたいことだ。世代的に、100歳というと、きんさんぎんさんである。双子のおばあさんで、TVによく出ていた。これぞおばあちゃんという感じで、人気者だった。当時は100歳超の老人が珍しかったこともある。

 

最近の100歳のおばあさんは元気だ。皺も少ない。そもそも、100まで生きる方は体が強い。私見では、特に内臓が強いと思われる。長生きできるかは、遺伝というか、先天的な要素が多分に影響してくるような気もする。あと、みなさん、気が強く、頑固だ。たまたまかもしれないが。

 

けっこう自立度が高くても、高齢だと、施設で生活を送るケースが多い。ご自身で入所を希望される場合もあれば、ご家族に説得されて入るパターンもある。

 

俺自身は実際に働いている職員なので、施設で生活することは絶対に避けたい。集団生活が好きな方はいいかもしれないが、自由でいたい方にはおすすめできない。

 

一度施設に入ると、家族の意向もあって、家に戻れなくなる可能性がある。そういう人はかなり多い。何かができなくなる、ということは、誰かの助けが必要ということであり、助けられる人がいないところでは、生きていかれないようになる。

 

また、認知面が衰える傾向にある。97歳認知症と診断されて入所してきた某女性利用者様は、たまのリハビリとレクリエーション以外は座っているだけで、認知症は進行していった。施設で100歳を迎えられ、誕生会でみんなに祝ってもらえたが、ご本人は自分のことをずっと70歳と思い込んでいた。100歳と指摘すると、そんな歳じゃないわよと不機嫌になった。自分の歳を100歳と思わない人を、100歳と言えるのだろうか。難しい問題だ。

 

施設で働いていると、生きることと逝くことについてよく考えるようになる。

 

長生きすれば、認知症になる確率はぐんと上がる。できないことが出てくると、施設に入れられ、集団生活を送ることになる。誰かが保護者面して、未来を勝手に決めていく。

 

個人的には、自分の人生が自分のものであるならば、最期も自分で選択したいのだが、もちろん自決を宣言しているわけではないし、すすめているわけでもない。可能なら、法的に何とかしてもらいたいのだ。

 

生まれるときといなくなるときはどうしても、国の介入を防ぐことができない。幸福のためにも、倫理観をもうちっと整えて、我々の選択肢を増やしてもらえたら嬉しいのだが、それにはまだまだ議論が必要か。

 

 

 

介護って大変だね

「介護って大変だねー」

 

介護業界外の人はよくそう言う。

 

彼らの言う大変さとは、仕事の難易度についての驚嘆ではなく、きつい・汚い・給料安い肉体労働者、ブルーカラーに対する同情と憐れみと同義である。

 

みんな、それはわかっている。

 

別に、だからと言って、どうとも思わない。

 

強制労働ではないし、辞めたくなったら辞めればいい。

 

仕事ですから。

 

 

ただし、家庭における介護となると、全然話が違う。

 

行政の思惑もあり、多くの施設が在宅復帰に取り組んでいるのだが、なかなか進まないのは家庭における介護が凄まじく大変だからである。

 

もちろん、被介護者のADLにもよるけれど、それとは別に、感情面や金銭の問題など、家族ならではの厄介な問題も出てくる。

 

私自身、親の面倒をまともに見られる自信はない。

 

きっと、介護の様々な問題がそこには横たわっているに違いない。利用者様の家族と接すると、大変とかいう言葉では済まないものを汲んでくれる救いがあれば…と思う。