上空でクロール

雑記ブログ。目標は100000記事。書きたいときに書き、休みたいときは休む。線路は続くよ、どこまでも。

暇潰し

自分にとって、勉強も読書も動画視聴も映画も釣りも旅も外食もブログもブックオフ調査も市民プール通いも、単なる暇潰しである。

 

何らかの使命や、情熱を注げるものがあれば、それをしている。そういうのがないオレは手持ち無沙汰が嫌なので、上記のような趣味に興じて空白を埋めているのだった。

 

趣味が満喫できる社会で生活できるのは、けっこう贅沢である。

 

でもたまに飽きる。なんか、シックリこないのだ。趣味のスランプである。熱中できない趣味ほどつまらないものはない。人生が灰と化す。

 

歳を取るほど、熱中できるものは少なくなり、耽溺することが難しくなるように思われる。

 

凡人だから凡庸な集中力しかないのかもしれない。中学時代の運動を除いて、全集中できるものは見つかっていない、ような気が、しないでもない。

『聲の形』

 

 

いい話である。

いい話に接すると、ひねくれたことを言いたくなるので、あえて言わせてもらうと、傷ついたいじめっ子の救いになる映画である。

 

この世には、人を傷つけておいて、傷つけたことが傷となって、傷つく人間がいる。傷つけられた人の無念・悔しさに思い至って、というより、自らを憐れんでの結果として。

 

だが、謝るべき人間は大抵、近くにいないし、いたとしても、実際には許しを乞う状況まで持っていかれない。丸く収まらないまま進んでいくのが普通である。許されないことが罰なのだ。

 

正直、調子づいて弱者をいじめる奴など、永遠に許される必要はないと思うのだが、本作品でいじめを受けた女子は、かつてのいじめっ子を許すだけではなく、好意さえ抱いている。いい子なのだ。

 

その善良さは好みの分かれるところだが、映画を観ていて、いじめっ子を救うには月みたいに巨大な善性が必要だということは、よーくわかった。