人生相談は、しない。
相談して解決するわけではないと思っている。もちろん、相談している人を非難するつもりはない。自由だ。むしろ、どんどん相談されたい。というのも、他人の人生相談は面白く見られるからだ。
昔は、某雑誌で連載されていた北方謙三さんの人生相談が楽しかった。度を超えた漢らしさとご自身の体験談が青少年だった自分には、刺激的だったのかもしれない。特に印象に残っていて、今でもたまに思い出すのは
運命はあるにせよ、タバコを吸うか吸わないか程度の自由はある。
たぶん、そんな感じのことを氏は言っていた。たまにそれを思い出すと、本当にそんな自由はあるのだろうかと考え込んだりするのだが、もちろん答えなど出るわけがない。
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最近は某文化人の人生相談をよく見る。再生回数が多いけれど、だから見るわけではない。フに落ちた意見がいくつかあったので、残りの動画を見ている。
その方の動画を見ても、未来が変わるわけではない。未来を見ないようにしつつ今を楽しむことに専念しているので、それはそれでよい。どうせ自分の描く未来など、絵空事である。
なら、なぜ見るのか?
一言で言えば、過去を再定義できるからである。戦略なのか性格なのか、救いのある意見がけっこうあって、ホッとする。その意見を過去に当てはめると、あら不思議、今更ながら客体化することができる。
きっと人の心には数多の棘が刺さっていて、普段は鈍い痛みをもたらせるだけだが、何かの拍子に抜けることもあるのだ。
明日も、がんばろう。