上空でクロール

雑記ブログ。目標は100000記事。書きたいときに書き、休みたいときは休む。線路は続くよ、どこまでも。

妄言


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国葬を推進する人々は自分が正しいという信念を持っているに違いない。衝撃的で、悲惨で、むごたらしい最期。あってはならない出来事だった。当然、全国民を挙げて、追悼しなければならない。この際、成果への疑問、数々のわだかまりは擲って、暴力反対を叫び、みんなが手を取り合って、葬送の列に加わる必要がある。もちろん、費用はあなた方の税金だ。だって、国葬だから。なに、大したことはない。どうせ金のことなどすぐに忘れる。しかし此度の国葬は歴史に残る。

 

以上はおれの妄言だが、どうだろう。故人は国民の半数以上が反対する国葬で悼まれたいだろうか。国民ではなく、与党が決めることだから、個人が反対したところでどうにもならないのだが、それでもあえて言わせてもらうと、政治家は歴史をなめている気がする。国民の多くが反対する国葬で葬られた政治家、という烙印を故人に押そうとしていることに、なぜ気がつかない。故人に更なる汚名を着せるようなものである。反対者が多数いるようなら、その資格がないということ。国民の多くが望まぬ国葬など、もはや国葬の体をなしていない。そもそも、国民に弔いを強制しないと言うのなら、国費を使うのではなく、仲間内で出し合ってお別れ会をすればよろしい。強制したいなら、いっそ法に定めよ。

 

よかれと思ってすることが、必ずしもいいことだとは限らない。

 

 

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中国が覇権を握る日は近いと一部で囁かれている。現実問題として、アメリカに頼ることができなくなれば、日本は中国に叩頭するだろう。それしか手はないのだ。幇間の未来は所詮幇間。古より、弱国は苦渋を嘗めてきた。アメリカより中国のほうが貪欲で、扱いにくそうだが、仕方あるまい。こちらに選択肢はないのだ。いつか、共産党史観を強制される日がやってくるのかもしれない。戦後とは、決して戦争の終わりを意味する状態ではない。