事実に基づく物語
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1944年、戦時中のアメリカ。
マダム・フローレンス(メリル・ストリープ)はヴェルディ・クラブなるものを創設し、基金を積み立てて音楽活動に邁進した。素人である彼女自身がソプラノ歌手として舞台に立った。彼女を精神的に支えたのは夫のシンクレア(ヒュー・グラント)である。
シンクレアはフローレンスの要求に忠実に応える。夫というか執事というかマネージャーというか、その全てなのかもしれない。
フローレンスの音楽への情熱はホンモノで、“パンよりモーツァルトのほうが大事”
などと、生意気なことを平然と口にする。レッスンは著名な指揮者と専属のピアニストによって行われる。但し、フローレンスには一つ問題がある。音痴なのだ。とんでもなく、彼女は歌が下手である。が、本人は、(劇中の設定では)それに気づいていない。夫も気づかせまいと努めている。つまり、フローレンスがリサイタルを開催するたびに、シンクレアはマスコミや周囲の人が批判しないように、または本当のこと(悪評)が伝わらないように手を打つ。フローレンスは裸の王様ならぬ裸の女王様なのだ。
彼女が歌う姿は実に痛ましい。
みんながド下手な歌手を褒めたたえる異様な光景。調子に乗った下手くそはジャイアンみたいに騒音をまき散らす。珍しい鳥のようにも見える。だが音楽はフローレンスの夢そのものなのだ。晴れやかな舞台で歌うことが、彼女の生きがいなのだ。
彼女は年齢的に体力もなく、厄介な病気を抱えている。そのせいで、シンクレアとは一度も性交渉が持てなかった。プラトニックな夫婦なのだ(でもシンクレアには愛人がいる)。フローレンスの生きる糧は音楽だが、神は無慈悲にも、才を与えなかった。財産と不治の病(ペニシリンがなかった為)を与えた。金はありがたいが、病はいらない。
フローレンスは自分のテクニックが完全か、それに近いものだと思っている。何十年も音楽を愛していて、自らの才能に疑いを持っていない。それはそれで、一つの才能ではないかと、最後まで観て思った。
フローレンスが人々に注目されたのは下手だからで、いくら金があっても中途半端にうまかったら、話題にさえならなかったに違いない。彼女にはきっと、目立つ才能があったのだろう。こうして映画の主人公になったのだから。
2016年イギリス